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花は盛りに

   今週に入ってからの急激な温度の上昇にともなって、利用させてもらっている体育館のある学園の桜も満開です。

地域の桜の開花も例年よりも早いようです。学園の入学式は再来週ですから、その時には葉桜になってしまっていることでしょう。

 開花にともなって、開花の情報を聞きつけた多くの人たちが桜見学に訪れています。毎年のことなのですが、断りもなく、テントやブルーシートを広げて木の下で飲食するなど、常に開放されている公園との区別がない者が多いようです。世代の違いなのか、時代の変化なのかは定かではありませんが、毎年のことなのですが考えさせられることです。

 下に引用した徒然草の筆者もこうした人々の行動を片田舎の人の行動として、皮肉交じりに述べています。

徒然草の第137段「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、『花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ』とも、『障る事ありてまからで』なども書けるは、『花を見て』と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、『この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし』などは言ふめる。」 

万の事も、始め・終りこそをかしけれ。

  中略

「すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにもみえず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし」とあります。いつの時代も美しいものをめでる人々の様子は変わらないようですが、筆者の情趣に対する考え方は、少し違っていたようですね。桜を見るのは、咲き始めや散り際がいいのだというのです。

変わり者と言ってしまえばそれまでですが、確かに桜の花が満開ともなると、桜の名所には人々が殺到し、花を見るというより人を見に行くような光景は、あまり望ましい花見とは言えないでしょう。

 さて、今年の桜祭りの状態はいかがでしょうか。桜も美しく、マナーも良い花見となることを期待したいものです。