人の世が無常であることについては、誰しもが知るところでしょうが、川の流れに浮かぶうたかたどころか、急流に押し流される落葉のように、またたく間に移り変わる年月の流れに、しみじみと「無常」を感じないではいられない、また、新たな年の始まりです。
それこそ、生命が有限であることについては、幼い頃からの常識であるはずなのですが、自分もまた、学生時代の講義で聴いた中世文学の世界に描かれた「無常」の世界観については、あくまで文学上のものとしかとらえていなかったように思います。
無限の生命を信じて疑わない青少年時代には、「無常」の世界は、自分の人生とはあまりにもかけ離れた存在であるのかもしれません。
話は変わりますが、孫のような存在のクラブ員たちとは、多くのギャップを感じずにはいられない毎日です。年齢は勿論ですが、言葉や思考、そして、嗜好などについても、それこそギャップだらけというわけです。
そして、クラブ員たちとの関係ばかりではなく、子のような存在である保護者たちとの関係においても同様です。
これは、今や少なくなりましたが、三世代同居家庭などがかかえる問題と本質的に同様なのことなのかもしれません。
クラブ員たちとは、年齢差を考えれば当然であるとの認識はあったのですが、その保護者との関係においても同様であることを改めて思い知らされる毎日です。
これこそ、年齢を重ねることによって獲得した勲章と呼ぶべきものなのでしょうか。
あるいは、文学的な表現をするならば、「悟り」の境地なのかもしれません。
今年もまた、こうした多くのギャップを抱えることを生きる証しとして、時の流れに逆らうように、重く遅い歩みを重ねていくことにしましょう。
もしかしたら、中世の知識人たちの目指した「悟り」の境地に一歩近づくことが出来るかもしれませんから。